2017 月曜更新第18回
月曜更新です。



ゲムマまであと2週間です!
新作予約はあともうちょこっと受付けます!!

既に予約個数50ほどいただきました!!ありがとうございます!!
当日分がだいぶ圧迫しているので現在増産中です。



手を動かしながら、年末のゲムマ秋にむけて新作のネタを
考えてるんですが、資源をこねくり回す系のいつものやつは
2案ほど固まったものの、人を食った軽いノリ系のやつはどうも上手くまとまらない。
数字的に作るゲームより人の感覚に依存するゲームを作る方が
自分には難しいなあと思う昨今です。

たまには最近制作上で思ったこともつらつらと

■善性と収束性の話

端的に言えば「カタンですごく面白いけどもう古いよね」って感じの話。

ゲームの終わりっていうのは、いろんな形で訪れるんだなあと、
最近重めのゲームにいくつか触れて、改めて思った。
終わりへの過程って大きくざっくり分けて2通りあってさ、

1つはルールどおりゲームを回した際に、プレーヤのゲームに対する
善性によって訪れる終わり
と、もう1つはルールどおりゲームを回すだけで訪れる終わり。

前者は要するに、終了トリガーをプレーヤの選択に委ねてるものだ。

カタンで言うところの先に10点を得る行為で
プレーヤが他者と競い点数獲得のために行動するというゲームに対しての善性。
ドミニオンで言うところの勝利点カードや複数のカードの買い込み、
これもプレーヤが勝利点をできうるかぎり伸ばすために行動する善性。
あやつり人形で言うところの建物を8つ建ててゲームを終わらす行為、
これまた勝ち抜けるというゲームに対しての善性だ。

対する後者は、ルール上自動的に終わりがやってくるもので、これも例を挙げると

アグリコラやタルギやヴォーパルスのように
規定のラウンドが過ぎればおのずと終わるもの。
ボーナンザのように必ず手番行程にドローが入り
着実に山札が枯れて終わるもの。
人狼のようにプレーヤーが確実に脱落していき
遅かれ早かれ勝利条件を満たしてしまうもの。


どちらが正しいとかは無いが、収束性の良し悪しという面では
俺は後者が絶対に正しいと思ってて、
ヘビーなゲームを設計する際は規定ラウンドで終了することを良しとしてる。
ところが、10~30分のライト級ゲームを設計する際は前者を許容としている。
それはなぜかと言えば、ライト級は多少プレイングが空回りしてもダレないからだ。
ところがヘビーなゲームとなると大いにダレてしまう可能性が出てくる。
それはダウンタイムであったり、キー要素が登場しない"待ち"の状態だったりだ。
時として、ゲーム半ばで誰かの点数が走ってしまうこともある。キングメーカーってやつだ。
こうなっちまうともうお通夜消化試合で非常によろしくない。
そんな時に"いつ終わるのか分からない"と"あと数ラウンドで終わる"じゃ
気の持ちようが変わってくる。
これがもし、終了条件が山札が枯れた時として、
アクションの選択でドローを選ばないと山札が動かないとしたら、
走っているプレーヤー以外は山札を枯らしてさっさとゲームを終わらせるために
ドローを選択を取ることも十分ありうる。
俺はその行動はゲームに対しての悪性だと思う。
でも悪いのはプレーヤではなく、そうルールを設計したデザイナーだと思うんだ。

そんなことを考えながら、クールでスタイリッシュなゲームの終わり方を
いろいろ模索してるんだけど、いやー ねっすね。むずかしいっす。








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by souka_t | 2017-05-01 22:12 | 日々よしなし事系 | Comments(0)
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